日語+羅馬音:
慈しみ深き(恩友歌)
いつくしみ深き 友なるイエスは
itsukushimi fukaki tomo naru iesu wa
罪とが憂いを 取り去りたもう
tsumi toga urei wo tori sari tamou
こころの嘆きを 包まず述べて
kokorono nageki wo tsutsuma zu nobe te
などかは下(おろ)さぬ 負える重荷を
nadokawa oro sanu oe ru omoni wo
我らの弱きを 知りて憐(あわれ)む
warera no yowaki wo shiri te aware mu
悩み悲しみに 沈める時も
nayami kanashimi ni shizume ru toki mo
祈りに応えて 慰めたまわん
inori ni kotae te nagusame tamawan
変わらぬ愛もて 導きたもう
kawa ranu ai mote michibiki tamou
世の友我らを 棄て去るときも
yono tomo warera wo sute saru tokimo
祈りに応えて 労(いたわ)りたまわん
inori ni kotae te itawa ritamawan
日語+假名:
いつくしみ深き 友なるイエスは、 (いつくしみふかき ともなるいえすは)
罪とが憂いを 取り去りたもう.(つみとがうれいを とりさりたもう)
こころの嘆きを 包まず述べて、 (こころのなげきを つつまずのべて)
などかは下(おろ)さぬ、負える重荷を. (などかはおろさぬ、おえるおもにを)
われらの弱きを 知りて憐れむ. (われらのよわきを しりてあわれむ)
悩みかなしみに 沈めるときも、 (なやみかなしみに しずめるときも)
祈りにこたえて 慰めたまわん. (いのりにこたえて なぐさめたまわん)
かわらぬ愛もて 導きたもう. (かわらぬあいもて みちびたもう)
世の友われらを 棄て去るときも、 (よのともわれらを すてさるときも)
祈りにこたえて 労りたまわん (いのりにこたえて いたわりたまわん)
日語+羅馬音:
慈しみ深き(恩友歌)
いつくしみ深き 友なるイエスは
itsukushimi fukaki tomo naru iesu wa
罪とが憂いを 取り去りたもう
tsumi toga urei wo tori sari tamou
こころの嘆きを 包まず述べて
kokorono nageki wo tsutsuma zu nobe te
などかは下(おろ)さぬ 負える重荷を
nadokawa oro sanu oe ru omoni wo
いつくしみ深き 友なるイエスは
itsukushimi fukaki tomo naru iesu wa
我らの弱きを 知りて憐(あわれ)む
warera no yowaki wo shiri te aware mu
悩み悲しみに 沈める時も
nayami kanashimi ni shizume ru toki mo
祈りに応えて 慰めたまわん
inori ni kotae te nagusame tamawan
いつくしみ深き 友なるイエスは
itsukushimi fukaki tomo naru iesu wa
変わらぬ愛もて 導きたもう
kawa ranu ai mote michibiki tamou
世の友我らを 棄て去るときも
yono tomo warera wo sute saru tokimo
祈りに応えて 労(いたわ)りたまわん
inori ni kotae te itawa ritamawan
日語+假名:
慈しみ深き(恩友歌)
いつくしみ深き 友なるイエスは、 (いつくしみふかき ともなるいえすは)
罪とが憂いを 取り去りたもう.(つみとがうれいを とりさりたもう)
こころの嘆きを 包まず述べて、 (こころのなげきを つつまずのべて)
などかは下(おろ)さぬ、負える重荷を. (などかはおろさぬ、おえるおもにを)
いつくしみ深き 友なるイエスは、 (いつくしみふかき ともなるいえすは)
われらの弱きを 知りて憐れむ. (われらのよわきを しりてあわれむ)
悩みかなしみに 沈めるときも、 (なやみかなしみに しずめるときも)
祈りにこたえて 慰めたまわん. (いのりにこたえて なぐさめたまわん)
いつくしみ深き 友なるイエスは、 (いつくしみふかき ともなるいえすは)
かわらぬ愛もて 導きたもう. (かわらぬあいもて みちびたもう)
世の友われらを 棄て去るときも、 (よのともわれらを すてさるときも)
祈りにこたえて 労りたまわん (いのりにこたえて いたわりたまわん)